なぜ生きることを飾るのはバラでなければならないのか。
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2011/10/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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冒頭に、生きることはバラで飾られねばならないと掲げながら、しかし”暇と退屈”にどう向き合うか、というのが本書のメインテーマである。
贅沢を取り戻せ、と書いてある。それは退屈の中の気晴らしを存分に享受することらしい。
「生きることはバラで飾られねばならない。」ことに関して - 今日もあの日(beta)
暇と退屈をやり過ごす術としてタバコの喩えが出てくる。
暇と退屈にやり過ごす術とは、世界全てに染みていく退屈のため息に煙の形を与え、その揺らめきを眺め気を晴らすことであると思えた。
ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる
と『国のない男』にある。
それと同じように。それはバラではなくタバコの煙に巻かれた人生だろう。
しかしそれでも生きることはバラで飾られねばならないとするのなら。
それがタバコではなく、宝石もでなく、星々でもなく、バラでなければならないのなら。
それが何であるかを僕らは知っているのではないか。
それはタバコが退屈の謂いであり、宝石が富の謂いであり、星々が真理の謂いであるように。
バラが何の謂いであるかを考えるなら、それは明らかじゃないか。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,内藤濯
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/03/10
- メディア: ハードカバー
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……この文章は随分前に、違うか、ひと月くらい前に書いていたやつで、なんていうか没にしていた。没にしていた文章の一部。
没にしていた理由、読めば明白だと思うのだけれど、すごい独りよがりだなぁっていうのがそれだった。あと、自分でも何書いているのか良く分かってない。
書く前から、書きながら、書いた後で、なんか違うなぁ、よがってんなぁと思っていたし、今も思う。いつも独りよがりじゃないのって言われると困る。よがってる。
バラの喩えどうこうなんてのはこの本の趣旨からは大きく外れているし、重箱の隅をつつく行いだし、明らかじゃないかってお前、気恥ずかしいから誤魔化してるだろうってその行い自体が恥ずかしい。
いやでも、今になって公開しておいても良いかと思ってこうして言い訳をウダウダ書いている。
いや、良くはない。やっぱり恥ずかしい。なんか毎回こうしてウダウダ言っている気がする。成長しない。いつかするのかなぁ。
でも、公開した方が良いこと多い。事情、変わった。今の変換で後悔って出た。こうかい、するのか。
あー、星の王子さまを持ってきたのは理由があります。
バラが出てくるというのも、もちろんそうなんですがそれだけじゃなくて。
そう、ハイデッガー。この本の重要な部分でというか、先のタバコ云々のところ(今読み返したらそんなタバコ大事じゃないし葉巻だった)でハイデッガーの退屈論が紹介される。
そのハイデッガーは哲学の定義として、ノヴァーリスの下したそれを引用します。曰く、
哲学とはほんらい郷愁であり、どこにいても家に居るように居たいと願うひとつの衝動である
でもってこの本の注釈に曰く、
ハイデッガーには、この後者の要素を充分に理解しているとは思えない節がある。ハイデッガーはただ「郷愁」を強調してしまう。そうすると哲学は、ふるさとから上京したものがふるさとを願う気持ちへとすり替えられてしまう。それはノヴァーリスのこの定義から外れてしまうように思われる
そうな。
それで、ノヴァーリスに立ち返るとき、星の王子さまで語られていることは彼の哲学の定義に適っていると思う。彼は自分の星に帰ることを願う一方で
「ぼく、いつも、じぶんのうちにいるような気ばかりしてるんだ」
と言います。それはそのままノヴァーリスの定義をサン・テグジュペリが知っていて使ったんじゃないかとさえ思ってしまった一文でした。ハイデッガーがナチスとの関係で語られる一方で、サン・テグジュペリの作品が反ナチとして評価されていたらしいというのは面白いことだな、ともっともらしくて余計な蛇足を付け加えてオシマイ。
星の王子さま バンド・デシネ版 (Le Salon des livres)
- 作者: ジョアン・スファール,池澤夏樹
- 出版社/メーカー: サンクチュアリ出版
- 発売日: 2011/05/23
- メディア: ペーパーバック
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西きょうじのポレポレ課外授業 第2課「点から線へ。線から空間へ~共感とコミュニティー形成~」
(星の王子さまについての言及があった、様な気がした。良かった。)
リストカットしてますって公言する人がいたらそれは怖いなって書いた後でちょっと思った。
書きたいことはないのだけれど、書きたい。いや、書きたいこともあるんだけれど、それはまず置いておいて、内容はともかく書きたい。女子高生が喫茶店で2,3時間もお喋りするように、ただ何となく書きたい。無駄なこだわりを無くせばどんどん書ける。僕は何度も読み返して書き直してそうしてグチャグチャに弄ってから投稿するのだけれど、そういうのを無くせば。でも、そういう細部を書きたいんだ。この表現をねじ込みたいな、っていうのが書きたいものなんだ。自分の持ち合わせている経験や知識に丁度いい、自分が長文をかけるような話題を求めてしまうのだけれど、あるのだけれど、それって大体言われ尽くしている話題、というかみんなが話題にしたような内容で、例えば某アルファついったらーが書いていたり、某講師が講演してたり。だから、あーそれってわざわざココでやることかな?っていうかでもココしかない。僕は口下手だ、自分の話で場を持たせることは出来ない。練習は、しているが。twitterは話題の劣化が早過ぎる。半日前の呟きにワザワザ言及するのは、される側の気持ちを考えると酷だ。SNSは、あー、mixi、あれは誰も見ていない。facebookは写真を上げる場所だ。高校時代にケータイでパスワード付きの脳ミソお花畑日記を綴っていた女の子たちは何処へ行ったんだ。馴染めるのか、あそこに?毎週末には何処かの御洒落なバーだかカフェだかの何だか御洒落な小麦粉を練って焼いた物を何だか垢抜けない構図で収めた写真が並ぶそういう空間に、その一部になれるのか。表裏一体なんだと思っていたんだけれど、ドロドロしたものは何処かに置いてきたんだろうか。馴染めない私、上手く出来ない私を承認している場所は何処だ?必要なくなったんだろうか。今の女子高生は、みんながみんなうまく折り合いを付けているんだろうか。怖い。なんで僕はうまく折り合いを付けられないんだ、どうなっているんだ。怖い。でもこうして書いてしまうわけで、これは一種の自傷行為だなぁ。女子高生が手首切るみたいに書く。なんで僕は自分をたとえるのに女子高生を使いたがるのか、まぁいいや。書いた後で、へへっまたやっちまったよ……みたいになりながらもちょっと満足感噛み締めているわけで自己完結していたら救われない。だからせめて公開したほうがマシなんだよ、閉じてないから。うわ、なんだこれ。酷いな。よし、保存するボタンを押すぞ。押すんだってば。
本を貸します。
困ってしまった話。事の発端は、
「〇〇さんみたいな教養を身につけるにはどうしたらいいんですか?なんていうか、哲学的な?」
と言われてしまったこと。真面目な目付きで、冗談めかした口元で。
僕は自分のことを哲学的な教養のある人物だと、、、到底思えない。けれど、彼のキョーヨーだとかテツガクテキだとかが指す意味も分からなくもない。教養だとか哲学的なサムシングだとか文化資本だとかリベラルアーツだとかのそういう空間に、僕は彼より近しい。彼は理系の大学生で、読書をする習慣を持っていなかった。
そういうわけで、何冊か本を貸そうと約束した先週末。まだ果たしていない僕。困った状況。
読書をする習慣を持っていない誰かに本を貸すとはどういう事なんだろう。本を貸すとはどういう事なんだろう?
おそらく、ただ本を手渡すだけでは彼は読まないだろう。そういう前提で考えている。
教養だとか哲学的なものへの憧れがある。そこから出てきた先の台詞だろうと。
何かに憧れている限り、その人はその何かにはなれない、ほとんど確実に。
憧れる何かを彼岸に置いて、此岸から眺める。流れていない河があって先に進めない。本当は地続きなのに。彼から見た河底をブラブラとぼとぼ歩いているのが僕かもしれない。
「お世辞で言っただけなのに真に受けて、押し付けがましい人だなぁ」
なんて読みきれなかった彼が思うのを僕はちょっと恐れている。僕の行いが押し付けがましいのはともかく、自分の言葉をお世辞や冗談だけに限って他の意図を無視するのは惜しいことだと。
ほんのちょっと期待をしてしまう。読むことで彼の中で起こる変革。正しくは10年単位で彼の描く軌跡がほんの少しでもズレたとしてもそれは奇跡と言っていい。現実の着弾点はこんな些事にはまるでブレることもない。
本を貸すのは投資のような行いだ。お金の使う難しさについて前に書いた覚えがあるが、知識の使い方も似た難しさがある。正しく影響を与える困難、影響をうける困難について考えてみる。知らず知らずに影響を与えること、受けることもあると分かったふりをしながら。
約束をしてから会う機会がなかなか無いのでこんなふうに考えてしまう。あっさり渡してあっさり読んでもらえたら僥倖だ。
- 作者: 瀧本哲史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/22
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From the Nothing, With Law.
いつだったか、おそらく先週末、The Indifference Engineが平積みされているなぁ、と思いながら本屋を巡回した。
The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: 伊藤計劃,岡和田晃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/03/09
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おそらく全ての短篇集には、その作家が如何なる題材を物語たらしめようとしてきたのか、その格闘の痕が生々しく残されている。
伊藤計劃のエッセンスはこのThe Indifference Engineに滲み出ていると言っていい。
彼が取り組んできた題材は言ってしまえば「意識とは?」というヤツで、それを現代的なモチーフで、ボンクラなガジェットで、しかし真摯に突き詰めていったことこそ彼の真髄なのだろうと思う。
そんな彼の問題意識はリベットの実験を前提としている。
脳と意識 - http://www.geocities.jp/tillich1965/Performance5.html
人間は行動を起こすとき、頭頂葉に運動準備電位という活動が起こるが(脳内信号指令)、運動準備電位が起こって0.35秒あとに、行為の意志が意識されることが明らかになった。なんと、行為を意図したあと、運動準備電位が脳で起こるのではないのである。なんと逆なのだ! 前意識的に脳内で行為が準備された0.35秒後に、「行為の意志」が意識されのである。
たとえば民法が前提としている意思表示成立の心理的過程は、
動機→効果意思→表示意思→表示行為
と説明されるが、そのような伝統的な説明に対する問題提起として充分な機能を果たす、かなぁ。
かなぁ、という点を設定や語りで更に推し進めて物語として成立させるのがSFの醍醐味である。
そもそも民法がこの問題に対処するとしても取引の安全保護を考えれば良いのである程度分かりやすい。
ところがこれが刑法となると、黒く大きな穴がポッカリとあいており、近寄りがたさと、抗いがたい魅力がある。
刑法体系から読む虐殺器官、というのも面白いだろう。
面白い、とは思うけど言及すると泥沼なので、ミァハに意思能力は認められるのか、とかユルい考えに浸っていたい。
伊藤計劃の作品はそのような近代的人間観に拠るシステムと現代科学が結んだ人間像との間に起きる歪みを映しだす鏡として読み解けるのではないかと思うのでした。
自由意志 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97
『マインド・タイム』 - http://www4.ocn.ne.jp/~kameidob/intro/38/mind_time.html
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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- 作者: 山口厚
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2011/09/20
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天下の回り物
「贈与経済」論(再録)
http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1404.php
4月から新社会人になる皆さんへ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/03/4-92f8.html
サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている (マイナビ新書)
- 作者: 西内啓
- 出版社/メーカー: マイナビ
- 発売日: 2012/03/23
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ここら辺を読んだら頭がフワフワしている。知識がないのは悲しいこと。
最後に挙げた本はなかなか共有されるべき知識が載っていると思うので、買ったらいいし読書メモでも取ると著者の本意にも適うのではないですか。投げやり。
お金の使い方についてへと筆は流れる。
ノブレス・オブリージュ、まではいかないレベルで僕たちはお金の使い方に困って、シアタールームを作ったりオーディオ機器に費やしたり訪問販売で浄水器や学習教材なんかを買ったりする。
人への贈与だけでなく、そもそも自分の納得出来るお金の使い方も出来ない人って言うのは居る。
成金だとか、そもそも使う時間がない会社員だとか。
お金溜め込んでいる老人とかもそうじゃないのかしらん。
そういう人が孫に会う度に現生3万渡す。
そうはなりたくないよなぁ。もっと先に心配することがあるけれど。
インターネットの向こう側のあなたへ。
こんにちは。暫く振りです。
あなたが行った道を、僕は進まないことを選びました。
選んだ、というと違います。選んだことにした、というのが適切です。
ともあれ、僕とあなたは今、まるで違うところに立っています。
空間的にも時間的にも精神的にも?
そういう違いが決定的なものになる前に、書いておこうと思いました。
そもそも、こんなことを書くのはお別れの時、あなたの気持ちにまるで共感できなかったからです。
あなたが嫌だ、留まりたいと言いながらその道を進んでいくのを眺め、そして今そこに立っているのを見つめ、そうしてやっと置いて行かれるとはこういうことなのだ、と了解できたのです。
これから先、あなたの目に僕は甘ちゃんとして映るでしょう。もっと言えば、こちらを振り返ることさえしないかもしれません。
それが正しいのだと思います。寂しくはありますが。
脇目を振らずにやるべきことをやる。僕とあなたは互いにそういう時期ですね。
そういう時に互いが互いに出来ることは本当に数少ないように思う。
ただ、少ないからと言って、その価値が低いわけでは無いでしょう。むしろ。
改めて。
あなたの門出を祝福します。旅路の無事を祈ります。
いつか再び会うときは、ここまで進んだと、言えるようにありたいです。
それでは近いうちに。
4月から新社会人になる皆さんへ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/03/4-92f8.html
眼差しを見つめ返すこと
舞台袖で台詞を確認する子ども。たった一言の重みに潰されそう。
出番になって同級生と一緒に舞台に出る。台詞の順番まで隅で待機。
震える足、乾く唇、 泳ぐ目。
だけれど、その目は薄明かりの向こうに家族の姿を見る。
見分けの付かない客席の中にあって、それははっきりと見分けられる。
その眼差しが心を軽くする。そして。
きっとあの人は自分を気に掛けているだろう。
あの人の目に自分はどう映るのだろう。
眼差しを感じながら過ごしていく。
晒される不特定多数からの視線は気にならない。
もっと強く自分を方向づける力がここにはある。
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
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呆気無く溶ける誤解。
薄明かりの向こうに見たのは幻。
家族なんて初めから来ていなかった。
眼差しなんて初めから投げ掛けられていなかった。そして。
たまに僕は、自分がただ自意識過剰なだけで、あの時した約束の意味はもっと軽いもので、そもそも向こうは約束だとさえ思っていないのではないか、と思って恐ろしくなる。
そんなつもりじゃなかったのに、と言われることは怖い。
たまに僕は、あの時した宣言は誰もまともに受け取ってなくて、大言壮語の類だと聞き流されているのではないか、と考えて虚しくなる。
そんなつもりだったんだ、と言われるのは寂しい。
だから、何度も確認しなくちゃいけない。
不安になるたび、恥を忍んで、迷惑を承知で、何度も。
眼差しや約束や宣言が虚しいものだったとして、確かめるたびに認めるたびに、真にしていくような道程を。