ソーシャルネットワークが描かなかったもの、浮かび上がらせたもの
昨日、何かとTLやらはてブやらで話題になっていた「ソーシャルネットワーク」を見てきました。
- 作者: ベン・メズリック,夏目大
- 出版社/メーカー: 青志社
- 発売日: 2010/04/06
- メディア: 単行本
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フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)
- 作者: デビッド・カークパトリック,小林弘人解説,滑川海彦,高橋信夫
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2011/01/13
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http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20110119
http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65447921.html
散見されるのが、ザッカーバーグの心情についての感想ですね。頭の回転が速いために飛躍する会話、他人の事を考えられない純粋な天才、もしくは、嫌な奴、コミュニケーション障害だとかのマイナスイメージ。
僕にはコレが、どうも理解出来ない。というか、ザッカーバーグが主人公だ、とさえ言い切れる自信がない。
ザッカーバーグの心情が明らかに現れている場面って、Facebookに関することと、ラストシーンだけなんじゃないでしょうか?他のところについては、彼が何を思っていてその行動をしたのか、はっきりと判断できないようにしか描写されてなかったと思うのです。
これは映画を作る際の取材にザッカーバーグ自身は応えていない、という所から出てきた構造上の限界なのだと思います。だからこそ、ザッカーバーグは主人公らしい成長も、心理描写も特にされないままラストシーンを迎えます。
僕はこの映画を観終えたあと「ロード・オブ・ザ・リング」を思い浮かべました。
圧倒的な魅力を放つ「指輪」のような「才能」。人々はそれに惹きつけられるが、それによって不幸になってしまう。FacebookをCoolだというザッカーバーグは、指輪を愛しい人と呼ぶフロドの姿に重なります。だからこそ、Facebookとは関係ないラストシーンに、僕は才能の器としてしか描かれなかったザッカーバーグの人間らしさを感じたのです。
天才ザッカーバーグ(Gifted)の物語ではなく、Facebook(Gift)に群がる人の欲望の物語。これこそが「ソーシャルネットワーク」だったのではないかなぁ、と。
長々と書いてきましたが、「ロード・オブ・ザ・リング」と違い「ソーシャルネットワーク」はFacebookを火山に投げ込むべき恐ろしい物とは描いていません(笑。Facebookが一体なんなのか。それは僕らの使い方、現実のザッカーバーグの選択次第なのです。今後のSNSとの関わり方について考えるよい機会になると思いますので、是非劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか?